まだもわっとした湿度が残り、夏の青春は終わらせないぞと意気込んでいるぼくを尻目に、キンモクセイたちは今か今かと前のめりになりながらクラウチングスタートの姿勢で待機している。そんな夏と秋のあいだ、昼下がりのカフェでビールを飲みながらぼーっとしている男性がいたなら十中八九ぼくである。おはよう。
オトナな休日
本日はなんともまったりとした1日でして、カラダの声にキチンと耳を傾けてあげる僕は、いつもの通り朝起きてからすぐに動き出すことはできずに一旦停止していた夢とやらをまた再生することにした。二度寝である。
しかし、いかんせん根がマジメなぼくは「このままじゃダメだ」と思い立ち、4度目の夢の再生を振り払いランチを食べにいくことにした。そしてドライカレーを丁寧に食べたのちにビールの誘惑に負けてカフェバーとやらに入店しているのが今である。本日はぼくのマジメさが爆発していて、困ったもんだ。
ビールを飲みながら窓の外を眺めていたら色んな人がいた。おそらく彼氏を待ちぼうけしている女の子、音楽を聴きながら口ずさんでいる人、友達とはしゃぐ学生。「みんななにを考えてるんだろう?」とそんな解答のないことを考えるの昔っから好きで、こう思ってんじゃね? いやいや絶対こんなこと考えてるでしょ!と脳内でやんややんやと討論してにぎわっている様子を遠目でみながら楽しんでいた。
そんなオトナのたしなみが終える頃、ふと今日のなにげない1日を振り返って「幸せだなあ」という気持ちが溢れてきた。この気持ちはなんだろう、そんなことを考え始めたらまた脳内のガキンチョたちが討論し始めたので書記のぼくはこれを書いている。まったく、手のかかるヤツらである。
幸せは余白に宿る
幸せというものは、どんなときに感じるのか? つねに感じることはできると思うが、こうゆうようなこみ上げてくるような幸福感は、いつ感じやすいのだろうか? そんなことがテーマに上がりホワイトボードに書かれた。
ぼくであれば、まず友達や家族といるときは幸せを感じる。これはもうその人たちと過ごせる時間というものが、かけがえのないモノであるからだと思う。
じゃあ一人でいるときはどうだろう? 美味しいものを食べているとき、旅をしているとき、綺麗な景色に感動しているとき、カフェでのんびりしているとき、公園でぼーっとしているとき、とかそんな感じだろうか。
それらのことを紐解いていったときに、もしかして幸せを感じる瞬間って余白が生まれたときなのではないか。ということを思った。
「やらなきゃ」な日々
ふだん僕らは生活していると「やらなきゃ」に囲まれていることに気づく。仕事をやらなきゃ、勉強やらなきゃ、家事をしないと。さまざまなタスクや課題が目の前に現れ、生きていくための「やらなきゃ」が増えていって、1日のほとんどの時間がこの「やらなきゃ」になったりする。
しかし圧倒的に「やらなきゃ」のなかに幸せは生まれにくいんだよね。自分が能動的に、自主的にやっていることではないから。そのなかに楽しさを見出すひともいるけどね。
だからこそ、その日常のなかでふと余白ができて、ゆったりする時間ができて、やらなきゃから解放されたときに、旅に出たり、美味しいものを食べにいったり、公園に散歩に出かけたりして、やりたいことをする。つまりふだん溜めに溜めていた自分の内にある欲求が、余白を与えた瞬間にとめどなく溢れ出してくるのだと思う。
そんなときに、幸せというものを感じるのかなあと。余白とは「やらなきゃ」からの解放であって、もしも仮にこの「余白」を意図的に作ることができたなら、幸せというものは舞い込んできやすくなるのかもしれないと脳内のガキンチョたちは言っているのだけど、いかがでしょうか?
やさしい時間を
時間てきにも、こころにも、余白というものがあると、ほんわかとした温かい気持ちになるし、やさしい自分でいられる気がする。そんな自分が幸せを引き寄せたり、そんな気持ちでいるからこそ幸せに気付きやすくなるのかなあ、とも思う。
ふだん悩んだり苦しかったり悲しくなったり寂しくなったり、どうしようもない自分に苛立ったりさ、そんな時間があって「やらなきゃ」に押しつぶされそうになる毎日をがんばっているからこそ、余白というものがより貴重に感じられるし、その幸せの伸び率みたいなものに幸福感が流れ込むのだと思う。ぼくのどうしようもない夜も、あなたが泣いた日々も、無駄じゃない。
たまには「やらなきゃ」を放り出して、真っ白な余白のなかに浮き輪を浮かべてゆらゆらと自分の時間を過ごすのもいいのかもね。タスクに追われずに、切羽詰らずに、自分を解放させてあげる時間。ボクもキミもがんばりすぎ。
そんな余白時間を作れるようになった明日のあなたが自分らしく笑っていたならば書記としてはシゴトを果たせたってなもんで。ガキンチョたちはガッツポーズなわけです。そんなこんなで、こちらもそろそろ休憩に入ります。
にやにやしちゃうような、心地よい幸せを。