クリープハイプの曲を聴いていた。
なんだか切ない気持ちになった。なんだろう、この冬とか秋にたまに感じる切なさ。いま現在切ないことなんて何ひとつないのに。定期的にくるこいつの正体はなんなんだろうってぐるぐる考えたのでまとめてみる。
1. 人間には周期がある
たぶん人間にはうまい具合に周期があるんだと思う。
年が明けて新年。ハッピーニューイヤー!過去のことなんてどうでもいいっしょー!なんてったって新年!な感じがあって、新しい風が吹き抜けるような爽やかさがある。あの瞬間だけはいろいろな悩みや失態を忘れて「今からは新しい自分なんでよろしく」という具合に自分を肯定できる。あれは気持ちよくて好きだ。
そして春。門出てきな入学てきな祝福感があって祝うように桜が咲く。あの薄ピンクに儚さを感じたりもする。「新しい出会い」な感じが充満していて街を歩いてるだけでなんだかワクワクしてくるような高揚感のある季節だったりする。
夏。これはもう海!花火!お祭り!ひゃっほー!な感じでサマーうぇい状態である。とんでもない開放感と、なんでもできちゃいそうな感覚に襲われる。いや、たぶん人は本来なんでもできる。やらないだけで。やってしまえばできる。その能力が最大限に開花されるような季節ゴーマイウェイである。
そんな浮かれたぼくの頭をひっぱたくように秋がくる。新緑が紅葉し木枯らしが吹き始めて淡い白のくもり空が増えて、なんというか「色み」がなくなる。それゆえに切なさを感じる。ここで感じる切なさは「喪失感」のそれと似ている。夏のギラギラ感から一気にカラッポにされた喪失感。彩色からモノクロへ。潤いから乾きへ。そんな印象を受けるんだけどたぶん秋自体は淡々と過ぎていて、夏が強すぎるためにぼくらが過大に喪失感を感じてしまっているだけに思えたりもする。
クライマックスは冬。いよいよ年が終わるぞ〜なやりきった感とやり残した感でなんか一年を振り返ったりしちゃって、結局「そんなに悪い一年でもなかったんじゃない?」っていう着地点に落ち着きがちな年末。クリスマスという怪物がいて、街がこいつに向かってキラキラしてきてムードという上着を羽織る。小さい頃からぼくはこれがとても好きだ。
空気が綺麗で夜に星やらをぼんやり眺めたりもする。たまにセンチメンタルな気持ちになるのはきっと冬が綺麗だからだ。自分の汚い部分や見ないふりをしているところが浮き彫りになってやりきれない気持ちになる。年末ということで「終わり」を意識するからというのもある。
2. 人は季節とともに生きている
人間は環境適応動物である。
このように季節の移り変わりに合わせて気持ちにも浮き沈みや右往左往があって、忙しい生き物であるけれどそれが「人間臭さ」ってやつなんだとおもう。
日本には四季というものがあって
それゆえに日本人は環境の変化や温度変化に敏感で、いちいち衣替えをしたり街の雰囲気が変わったり流行る音楽も変わる。他の国にくらべて、とても繊細な民族なのかとおもう。他の国の事情は知らんけども。
だからこそ繊細なアートや職人技や伝統芸能みたいな高度な技術が生まれたり、映画なんかも小さな気持ちの動きや 感情に訴えかけるようなメッセージ性のあるものが多いように思える。海外映画にくらべて。他の国の事情は知らんけども。
それが日本のよさであるけれど一方で繊細すぎるがゆえに「気付いてしまう」というデメリットがありそうな気がする。相手の気持ちを分かりすぎてしまうというか、やさしさというのか。だから鬱病や自殺なんかも多い国なのかなあと。他の国にくらべて。他の国の事情は(省略)
3. まとめ
ぼくは日本が好きだ。
クリープハイプの歌詞からなんでこんな話になったのか分からないけど、ぼくは日本が好きだ。
周期はあるものだからそのことはドシッと受け止めてあげて、季節の変化に合わせたいろんな気持ちの移り変わりを楽しめるようになったらとても素敵なことなんだろうなあ、なんてぼんやり考えている。
結局切なさの正体はわからぬままだ。
最後にクリープハイプの好きな歌詞をもう一つ。
どうしようもない日々を愛せる曲。
冬だからなのかこうゆう曲が胸にチクチクと刺さる。
後悔の日々が
あんたにもあったんだろ
愛しのブスが
あんたにも居たんだろ
愛なんてずっとさ
ボールペン位に思ってたよ
家に忘れてきたんだ
ちょっと貸してくれよ
傷つける/クリープハイプ
おとといこの曲がかかって
ぼーっと聴いてた。空っぽで聴いた。
愛おしいな全部— しみ (@shimi_yurutabi) December 7, 2015