愛について。

どうも、しみです。

本日はマイバースデーということで、なにを書こうか迷った結果、「いま一番書きたいことを書こう」という結論に至りました。

少々お付き合いください。

少年期

ぼくは小さなころから人が大好きで、ゆえに嫌われたくなくて、友達にすこしでも強めな口調や傷つくことを言われたらすぐに泣いていた子どもでした。それが冗談だとしてもわからないような小学生でした。

おそらく素直に受け取りすぎていたことと、相手の気持ちを考えすぎていたために「なんでそんなこと言う(する)のだろう」という謎が解けなかった不安からきていたのだと今では思えます。

しかしそんな僕にも両親は莫大な愛情を注いでくれて、ときには「さすがに過保護じゃね?」と保護を受けている側が感じるほど大切にされ、育てられた記憶があります。

そこで中学生になり、やはり反抗期というものはくるもので、外からはあまり分からなかったと思いますが、その愛情から離れたくなった時期がきたんですよね。

なんだかこう、守られている世界から出たいというか、自分一人で大丈夫だから。という自立心みたいなものが芽生えてきました。弱っちいくせにね。

愛とは

そんな中、まあ未熟なもんで自分の感情を隠しきれないぼくは母に多少強く当たったりもしました。泣かせてしまったこともありました。

その母の泣いている姿を見たときにすごく反省したんですよね。なんで今までこんなに愛してくれた親を泣かせているんだ。と。自分に対しても腹が立ったし、どうしたらいいかわからなくなりました。

それから毎日毎日考えました。愛ってなんだ? と。ヘンな中学生ですよね。でも、ここで間違った道に踏み込んではいけない気がする。って直感的におもったんですよね。ない頭なりに本気で考えて向き合いました。

そして僕のなかでひとつの答えが出ました。

愛とは、誰かのことを想うことなのではないかと。 

誰かを想うこと

ぼくは今でも両親からたくさんの愛情を感じます。それは僕のことを想ってくれていることを感じるからだと思うんです。

それ以外にも、たとえば友人や兄弟、ネット上のつながりだとしても、ぼく個人のことを想ってくれているということを認識したときに、愛を感じることが多いです。

そこにはその人の想いに込められた温かさや、ぬくもりみたいなものがあって、そこに安心感や嬉しさ、そして幸せを感じるんですよね。

だからぼくは自分が好きだと思う人、大切だと思う人に対しては愛をもって接します。つまりその人のことを想って言葉をかけたり行動に移したりするし、きっとどこかで気にかけています。

この「」ってやつが僕の人生の大きなテーマなんです。ちょっとギアを上げていくね。口調崩すけど許してね。

想いは人に伝播していく

でね、この愛っちゅうやつは周りの人にもまあなかなか大きめな影響を与えていくと思っていて、これはぼくにも経験があるんだ。

さっきも話したけど両親から莫大な愛情を受けたぼくは自分が大好きになったんだよね。なんでかって、両親がどんな自分でも愛してくれるから、肯定してくれるから、「自分が嫌だ」と思うことがなかった幼少期だったんだ。

なにをしても受け入れてくれる。ダメな僕でも、どうしようもない僕でも、愛してくれて。それは甘やかしているとかではなくて、しっかりと正面から向き合った愛だった。叱られることもあったけれど、同時に抱きしめながら愛を伝えてくれた。

だから、僕は自分を大好きになった。自分を肯定できるようになった。これを言うとヘンだと言われるかもしれないけど、悩んでる自分も、できない自分も、 ダメな自分もそれはそれで好きなんだよね。素晴らしいと思ってる。それがぼくの根拠のない自信とやらに繋がっていて、「自分ならなんとかなる」という確固たる軸があるので、いま、なんでも挑戦できていたりするんだよね。

ようするに深く愛されることによって「自分はどうせ愛されている」と思うことができたんだよね。なにをしても愛されるって。だから怖いものがなくなった。そんでもって自分を好きになれたんだ。もうね、サイヤ人状態のソレだよね。自分が自分を好きだから、誰に好かれなくてもいちいち気にしなくなった。「自分」という最強の相棒(味方)が誕生したわけだ。

これが愛が人から人に伝播した瞬間ってやつで、自分を好きになるために、自分を肯定できるようになるために、「愛を感じること」っていうのが人には一番必要なモノだよなっておもったんだ。

そして今度はぼくが大切なだれかを想うことによって、その人が愛を感じたり、「わたしって案外愛されてるやん」って自分のことを肯定できたりして、安心感のある温かさに包まれて幸せを感じることができたらいいと思うんだよね。そうしてその人の温度はまた次の人にもリレーしていく。

そんな温かい連鎖が自分のまわりで起きたら良いとおもうし、そんな世界になってほしいと思う。だからまずは自分からだと思ったわけだ。第一に、自分が自分をちゃんと愛する。そしてその上で、人を想う。愛を伝えていく。

たぶん人は、「自分は誰からも愛されていない」と感じたときに孤独を感じ、内に閉じこもっていったり悲観的になったりしていっちゃうと思うんだ。つらいよね。でも、誰からも必要とされていない人なんていないんだよ。それを伝えたい。

自分ひとりの力なんて微力だけどさ、連鎖して、人から人へぬくもりのようなものが波紋のように広がっていったら、なんとなくハッピーな世界になると思うんだよね。どうかな?

最後に

もう最後になるんだけど、この記事を書いた理由としては「いま一番書きたいことはなにか?」を考えたときに、いまの自分にしか書けないことを書こう。とおもったんだよね。それってのはつまり未来の自分へ宛てた手紙なんだ。まわりの人への感謝は、直接伝えることにした。

これからの僕はたぶん、人に迷惑もかけるだろうし、こんな性格だからなにか大きなことに挑戦もするかもしれない。失敗も挫折もするだろうし、大切な人を傷つけることもあるかもしれない。そんなときにこれを読んでほしい。

25歳になりたてのぼくは、25年間の人生で、こんなことを学んで、こんなことを大切にしているよ。って、ここに記したかった。ブレそうになってる未来の自分に、落ち込んでどうしようもなくなってるいつかの自分に、今しか書けない手紙を書いておきたかった。付き合わせちゃってごめんね。

ぼくは弱い。それはもう簡単に吹き飛ばされちゃうくらい弱っちい。でも、人を想う力がある。人を繋ぐ力もある。だからね、もう一人でがんばることはやめた。人に頼っていく。人に助けられていく。その代わり、ありったけの愛を伝えていく。想いをコトバにしていく。しっかりと血の通った、人間らしい、温かい人生にみんなを巻き込んでいく。よろしくね。

愛に生きる。 

しみ
クリエイター
ふらふら旅暮らし。
映像と文章で生きています。
居心地のいい時間に浸るのが好き。
目の前のひとりを大切に。