終わりのあるものって
美しいと思うんだよね。
蝉の一生も、桜も、恋も、人生も。
終わりがあることを分かっていて
それに向かって進んでいることも
知りながらなお終わりがくるまで
精いっぱい輝こうともがく姿に
歯がゆさと希望を感じて
美しいなあとおもうんだよね。— しみ (@shimi_yurutabi) November 25, 2015
終わりのあるもの
なにがあると思いますか?終わりのあるもの。
ぼくが思いつくのは命や映画や小説や恋やスポーツの試合や、ほかにも無数に思いつくのですが、なんとなく終わりのあるものに最近は興味があります。
ただ純粋に美しいとおもうのです。
あれこれ考えてみたのですが、そこにはたぶん「制限」があるからかなと。
映画には放映時間があり、本にはページ数があり、恋には別れや結婚があり、命には終わりがあります。
その制限の中でそれぞれがその魅力を最大限に発揮しようとすることに美しさを感じるのかなあって。
「制限」という言葉はそんなに好きではなかったけれど、こう考えるとなんだか必要なもののように感じます。
忘れがちなこと
あのスティーブジョブズが残した言葉にこんな名言があります。
もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは 本当に自分のやりたいことだろうか?
有名な言葉なので聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?
もし今日が人生最後の日だとしたら、なんて普段は全然考えもしないですよね。
でもすごく大事なことで、こういう考え方をするだけで、毎日をなにも考えずにただただ過ごしていることに違和感を覚えます。
どうしても忘れがちなことですが、「命=時間」なんですよねえ。
終わりを意識した瞬間に人生は輝く
終わることを意識しはじめた瞬間から、人は行動や考え方が変わり、人生は輝くとおもっています。
命という「限りある時間」と向き合うことになるから。
今この文章を読んでいる時間も、あなたの一生のうちの大事な時間です。スマホゲームをしている時間も、楽しんで笑っている時間も、ぜんぶ同じ「時間」です。
そして時間は平等に過ぎます。
そう考えると時間の使い方をすこし見つめなおしたいなって思ったりします。
終末のフール
最後に、ぼくがすごく腑に落ちた言葉を紹介します。
ぼくの大好きな伊坂幸太郎さんの「終末のフール」という作品の中にあるワンシーンです。
3年後に小惑星が地球にぶつかって、地球が滅んでしまうという現実を叩きつけられたときの、様々な境遇にいるひとたちの人間模様を描いた作品。
終わりがくるのがわかっている状況で人はどんな行動をとるのか?が読んでいてとても考えさせられるのですが、
そこに登場するキックボクシングのチャンピオンである「苗場」という人物がいて、とにかく毎日練習をするんですよね。それも猛烈に追い込むんです。得意技のローキックと左フックをとにかく練習していて。
そこである人が聞きました。
「苗場君ってさ、明日死ぬって言われたらどうする?」
「変わりませんよ」苗場さんの答えはそっけなかった。
「変わらないって、どうするの?」
「ぼくにできるのは、ローキックと左フックしかないですから」
「それって、練習の話でしょ? というかさ、明日死ぬのに、そんなことするわけ」可笑しいなあ、と笑ったようだ。
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか? あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」
これを読んだときに、まさに当時の自分に言われているようでハッとしたのを覚えています。
それからぼくは行動を変えました。
親が明日死ぬとしたら全力で感謝を伝えますよね。恋人が明日死ぬとしたら全力で愛を伝えますよね。
じゃあ、なんで今やらないんですか?
そんな質問が飛んできたときに、当時のぼくは答えられませんでした。
最後に
ぼくは人に愛を伝えるのをためらいません。感謝を伝えるのもためらいません。悩んでる友達がいたら救いにいきます。
明日死ぬかもしれないからです。
そう思っていても忘れるときがあります。でも、毎朝思い返すようにはしています。
人は終わりを意識した瞬間に輝きます。
人は始まった(産まれた)瞬間から、終わり(死)にむかっていて、
じゃあハナっから始まらないほうがいいんじゃない?なんて質問はタブーで、最後には終わりがくることを知りながらも生きる刹那の中には、たくさんの出会いや悩みや葛藤があります。もちろん幸せも。
始まったことには必ず意味がある。始まってくれてありがとう。