みなさんは普段「俯瞰(ふかん)」ってしますか?
ぼくは結構します。
なにそれ?って人もいるかとおもいます。
ぼくの場合、落ち込んだときや何かに悩んだときなんかはとくにこれをします。これをして解決することも多いんですよね。
みなさんが落ち込んだときや悩んだとき、人生の道に迷ったときにこの「俯瞰する力」ってやつはおそらくとても役に立つのかなと思います。
俯瞰とは?
ウィキぺディアにはこう書いてあります。
俯瞰(ふかん)とは、高い所から見下ろすこと。全体を上から見ること。
俯瞰の映像は他の映像に比べ、客観的で説明的だとされる。
全体を上から見ること。客観的。みたいな意味合いが強そうですね。一つのことに集中しすぎずに、ひろ〜く全体を見るようなイメージですね。
悩んでいるときなんかはこの逆で、そのことばかりに集中してしまって、とらわれているよう気がします。
人生を俯瞰する
ぼくはよく自分自身を俯瞰して見たり、自分の人生を俯瞰したりします。中学生くらいの頃から。たぶんそうゆうのが好きだったんだとおもいます。
「俯瞰」ってぼくのイメージでは、
自分の上空に鳥が飛んでいてそいつの視点から地上にいる自分を見ている感じ。自分は地上にいるんだけど意識は上空にふわふわとある感じ。なんというか伝えにくいんだけどもう一人の別の自分から、そこにいる自分を見ているようなイメージ。
ぼくの場合、落ち込んだり悩んだりしたときにこうゆう思考になります。俯瞰するとすごく自分を客観視できるんです。あ、落ち込んでるなあ俺。みたいな感じで。たぶん人って「目の前のこと」がすべてになっちゃうんですよね。どうしても。
落ち込んだとき
みなさん落ち込んだりってしますよね?
たとえば自分は今まであるスポーツを必死に一生懸命がんばってきたとして、そこに関して自信があったとしても、目の前の人に否定されたり、失敗したりすると「ああ、自分はダメなんだ」とおもってしまうんですよね。
落ち込んだり悲しかったりします。自分まで自分を否定したくなります。これは仕事でも恋愛でも私生活でも同じだったりします。
でも、ここで少し俯瞰してみるんです。
ずっと長い年月やってきて、いろ〜んな大変なことや辛いことを乗り越えてきて、そこにはたくさんの背景があるわけです。自分にしかわからない苦しみも楽しさもあったはずなんです。それを目の前の一人の人に少し否定されたり、失敗しただけで、落ち込んでいる自分がいる。
これを俯瞰することができると
「やってきた長い年月から見るとすごくちっぽけな出来事なのに、なんで凹んでるんだろう」と思えるんですね。全体(やってきた年月)を広く見れるんです。
全体から見たらそのことなんてほんの小さな出来事なんですよね。
たとえば人にそれを否定されたとしても、この世に人は星の数ほどいるし、たった一人にたまたま合わなかっただけで落ち込む必要なんてないんですよね。
自分の気持ちだったり自分が頑張ってきた背景は、自分が一番よく知っていて、否定したその人はそれを全部知った上で言ってないんです。
その人の一部分しか見てないんですよね。
10割分のあなたがいたとして、そのうちの1割だけを見て良く思わなかっただけなんです。あなたはもっと深いです。
こうゆうとき他の9割まで否定されたような気持ちになりがちですがそんなことないんですよね。
だから気にする必要はないんです。アドバイスとして受け取ればいいんです。
自分まで自分を否定しなくていいし、あなたがあなたを認めていればいいんです。
否定されて「お前に俺のなにがわかる」って言い返す人いますよね。あれは間違ってないと思います。
言い方がトゲトゲしてるから悪い感じに伝わっちゃいますが(笑)アドバイス自体は受け取るべきですが、全然落ち込むことではないんです。
なにかに落ち込んだりしたときはそのことだけにフォーカスして悲観的にならずに俯瞰して全体を見て、客観視してみましょう。
広い視点で遠くから見ることによって、その物事がいかにちっぽけか気付けたりします。
悩んだとき
たまに人生の選択を迫られる場面がきますよね。
進学だったり就職だったり、どの部活に入るのかとか人間関係でも、そんな場面はあるかとおもいます。
そんなときにも俯瞰ってやつは使えます。
ぼくの経験でいうと、前職を辞めると決めたときにかなりの葛藤があったんですよね。
「今やめていいものか?」ということと「いや、でも自分のやりたいことをしたい」という葛藤。かなり悩みました。
その職場への恩や気持ちもありましたし、責任もありました。自分が動くということは周りの人やモノゴトにも大きな変化がでます。
人生最大に悩みました。
悩んで悩んで悩んでいたとき、ふと俯瞰できたんです。
自分の人生をすごく客観視できて、「あ、たぶんこの人はこのタイミングで今の仕事をやめて自分のやりたいことをやらないと、将来すごく後悔するんだろうな。」っておもったんです。
第三者の視点から自分を見れたんですね。
目の前のことで悩んで悩んで苦しかったときは、もうその悩みが自分の世界のすべてになっていて、周りが見えなくなって視野が狭くなっていたんです。
そのときは一大事件かもしれませんが、あとから見返すと「いい思い出」くらいにおもえることって多々あります。
この先何年も続いていく長〜い人生からみると、なんでもちっぽけに見えてくるものです。あとから全部笑い話になります。
人生の選択で悩んだときは人生を長いスパンで俯瞰しましょう。
超俯瞰
僕はたまにこのモードになります。超俯瞰モード。
共感してくれる人はいるかは分かりませんが、夜なんかはとくになったりします。俯瞰することに慣れてくるとできるようになったりします。
これはなんなのかというと、さっきの「俯瞰」が上空の鳥の視点だとしたら、この「超俯瞰」は宇宙の人工衛星の視点みたいな感じです。意味わからないですよね。
たぶんよくわからないと思うので解説すると、めちゃくちゃ広い視点で見ちゃうんです。物事とか人生を。
たとえば
「人はどうせ最後は死ぬんだよなあ。それならやりたいことやったほうがいいし、伝えたい気持ちは伝えたほうがいいし、周りの批判なんてすごく小さいことで、恥ずかしいことなんて何もなくて、どうせ死ぬんだったらもっと全力を出し尽くして後悔しないように生きたほうがいいよね。今やりたいことを今やろう。」とか
「宇宙のナン億光年みたいな歴史からしたら人間ってほんとうにちっぽけだなあ。寿命80年て。短いなあ。彼らからしたら人間の一生なんてほんの一瞬なんだろうなあ。そんな短い80年間なのに、なんでこんなに悩んでんだろ。すぐ終わっちゃうんだし、自分のやりたいことやろう。宇宙からみたらぼくら人間は米粒以下なんだろうなあ。小さいなあ。いくら目立とうとしても目立たないんだろうなあ。」みたいな感じです。意味わからないですね。笑
だいぶダークサイドな感じになっちゃいましたが、もっと明るく前向きにこれを考えています(笑)
こんなに怖くないです。ある意味「悟り」に近いような感じです。ワケがわからなかった人はすみません。しかしこれが僕がたまになる超俯瞰状態です。
ある意味でいい諦めみたいなものが生まれて、開き直って自分に素直になれます。悩みや落ち込みなんかもどうでもよくなっちゃいます。
分かり合える人がいたら語り合いましょう。
俯瞰と熱中
「俯瞰すること」にもデメリットがあります。
あまりにも客観的に物事を見てしまうのでそのことに熱中できなくなります。
つねに一歩引いた視点から見てしまうので冷静というのか、冷めたような感覚になります。
しかしこれでは人間としてつまらないと思うのです。
あくまでも「俯瞰すること」は落ち込んだ気持ちや悩みの「解決方法」です。
それとは別で、楽しいときや好きなことをしているとき、やりたいことをやっているときなんかは一つのことに集中したほうが良いです。
そのことに日夜夢中になるくらい、のめり込んだほうがいいです。遊びに熱中していた子どもの頃のように。
好きで夢中なことは、突き抜けられます。その熱量が周りに影響を与えます。
ぼくの見てきた「オモシロイ人」はこうゆうタイプの人たちが多いです。
落ち込んだり悩んだりしたら「俯瞰」して、楽しいことやりたいことには「熱中」しましょう。
使い分けですね。
まとめ
ぼくもまだまだ人生経験は短いですが、生きているとなにか壁にぶつかったり、どうしようもなくなっちゃうときってあるとおもいます。
そんなときに「俯瞰する」というひとつの考え方をもっているだけで、選択肢が増えます。
自分がすごくラクになります。ぼくはこれにとても救われました。
なんでも遠くからみるとちっぽけに見えるものです。
みなさんの生活のなにかに役立って、すこしでも豊かになったら嬉しいです。