こうして生きていると、自分の人生をまるごと変えてしまうほどの出会いというものが、たまにあったりする。
僕にもそんな出会いがあった。
自分大好きなぼくが唯一自己否定をしそうになったことがあってさ、ちょうどそんな時期にある出会いが訪れたんだ。
自分が大好きだった青年
自己否定や自己嫌悪に陥りやすい人が多いこの時代にはめずらしいのかもしれないが、ぼくは自分が大好きな青年だった。それはもうゴリゴリに大好きだった。
たぶん両親がたっぷりと愛を注いで育ててくれて、ぼくはそれを素直に受け取って育ったもんだから、「自分は誰からも愛される」という自信があって、「なにが起きても自分ならなんとかなる」という根拠のない確信すらあった。両親にはほんとうに感謝している。
ぼくは自分が大好きで、自分はとても良いなあと思っていたし、自分のような友達がほしいと思ったりもした。冗談ではなく本気でそう思っていた。自惚れってやつである。それでいいのだ。
そしてそれらは今にもちゃんと継続されていて、ぼくは今でも自分が大好きで、周りにいてくれる人たちが大好きで、自分なら全部なんとかなると思っていて、思い込みが現実化しているのか分からないけど、現にすべてなんとかなっちゃっている。
だから今となっちゃあ何か悪いことが起きても「お、きたか。」くらいにしか思わなくて、ハプニングも自分次第で楽しめることを知っていて、それを楽しめる自分がまた好きだったりする。
自分を否定しそうになったあの頃
そんなぼくが自分を全否定しそうになった頃があった。
それは治療家として現場に立つようになったときのことだった。今までなんでも器用にやってきたタイプだった僕は国家試験もラクラク合格して、専門学校もトップクラスの成績で卒業して、学生時代から研修にいっていた接骨院にそのまま就職し、いよいよ本格的に治療で患者さんを任されるようになった。
そうするとやっぱり経験したことのないことばかりが降ってきて、もうわけわかんないほどの課題が目の前に現れて、患者さんと院長のプレッシャーを感じて、自分のやること成すことがことごとく上手くいかなくて「ダメだなあ自分」と思わされる毎日が訪れた。
しかしそんなものは覚悟していたので「まあでもこれは伸びしろだ」と思って院長のスパルタ指導に耐えながら勉強して試行錯誤して患者さんの信頼を勝ち得ていった。
無気力になった
あの頃ぼくはとにかく院長に認められたくて頑張っていた。絶対に認めさせてやる。くらいに思っていた。
でね、院長の指導のおかげでだんだんと治療技術がついてきて、知識もついてきて、患者さんからの喜びの声が増えて、自分でも自信がついてきた頃に、ぼくは主張することを始めた。
「自分はこう思う」ということを院長に伝えることをした。絶対に患者さんにとってはコッチのほうがいいだろう、と思うことを今までは伝えずにいたけれど、伝えることにした。
すると自然とぶつかることが増えた。言い合うことも増えた。どうしても譲れないときは引かなかった。でも、それは良いことだと思っていた。意見をぶつけ合うことで患者さんにとってより良いものを作れるし、多方向から見れる。普段はゆるいぼくでも、治療のこととなると譲れない部分もあるのだ。
患者さんは喜んでいて、結果も出ているのに、それでも認められない日々が続いた。そんなとき、ふと「なんで認めてくれないんだ」という気持ちになった。
頑張っても頑張っても認められない。その現実を目の前にして、ぼくは無気力になり、そして自分を否定しそうになっていた。
「全部自分がいけないんだ。自分はダメなんだ。だから認められないんだ。」
と、ちょうどそうゆう感じに。
ひとつの出会い
そのとき僕は坂爪圭吾という人物に出会った。
出会ったといってもネット上なのだが、当時は彼の言葉に何度も何度も救われた。
どこまでも「自分の人生」というものと向き合い、ちょっとした感情の揺れ動きや想いにフォーカスした坂爪さんの言葉たちに心を鷲掴みにされた。
今までの人生をすべて肯定してやる。
そんなメッセージをビリビリと感じて、ぼくはちゃんと「自分」を生きることにした。かつての大好きな自分を取り戻した。
ひとつの出会いで人生がガラッと変わった瞬間だった。
依存しない生き方
今までのぼくは他人に依存していた。
接骨院時代はまさに「院長の評価」と「患者さんからのプレッシャー」というものに囚われていて、それがすべてになっていた。
それ自体のなにがこわいかって、自分でコントロールできない部分なんだよね。
院長の評価も、患者さんからの見られ方も、決定権はあちら側にあって、ぼくが頑張ってそれが変わることもあるけれど、いくら頑張ったって変わらないこともある。つまりあっち側にすべてが委ねられていて、これほどこわいことはない。
そこに気づいてから、ぼくは自分の人生を生きることにした。
院長の評価ではなく、自分の成長のために。
患者さんからのプレッシャーを気にするのではなく、自分が目の前の患者さんをどうやったら治せるか。という考え方をするようになった。
すると不思議なもんで、院長の評価なんてものは気にならなくなり、患者さんのプレッシャーも感じなくなった。自分に矢印が向いた瞬間だった。
それ以降、自分と目の前の患者さんに集中できるようになって、成長スピードも加速していった。
そんな人になりたくて
「認められたい」という気持ちは誰にでもある。
でもそれが「誰か(他人)に認められたい」となってしまうと、評価を人に預けることになり、自分ではコントロールできない領域になってしまうので、相手次第で自分が揺らいでしまったりする。
そうではなくて、自分が自分を認めてあげられれば良いんだよね。オッケーのラインは常に自分の中で設定しておいて、他人に委ねたりはしないこと。いつでも判断基準は自分に置くこと。
結局は自分の人生なんだ。あなたが「最高だ」と胸を張って言えるような人生なら、それが一番いいのだ。
ぼくもね、誰かを肯定してあげられる人になりたいと思うんだ。自分を否定しそうになっている人や自己嫌悪に陥っている人が「わたしって案外悪くないかもな」って思えるような、そんな人になりたいんだ。
受け取った想いは、こうやって人から人へとリレーしていくのだと思う。
どうせ一度きりしかない人生なら、どうせ同じ時間を過ごすのなら、だれに否定されても、だれに評価されなくても、自分だけは自分を全肯定して、ハッピーに生きていたいとおもう。
そのキッカケとなる「出会い」とやらに、なりたいとおもうのだ。