「好き」の正体

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最近、好きだと思うものが増えた。

好きな時間、好きな友達、好きな食べ物。あげるとキリがないんだけど、そうゆうものが以前よりも身の周りに増えて、ぼくの暮らしを囲んでくれている。

感謝と共に感じるのは「好き」という言葉や感情に込められたエネルギーのようなもの。この漠然とした気持ちをすこし時間をかけて言語化してみる。しばし付き合ってほしい。

自分を突き動かすもの

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たとえば「自分」という人間がいて、コイツを動かしている「動力」はなんだ、と考えたわけだ。

日々好き勝手に生活しているなかで、コイツを朝起こしたり、歯を磨いたり、友達と会いに出かけたり、なにかを食べたり、ふらっと散歩に出たり、そうやって自分ってやつを動かしている「動力」はなんなんだ、と。

例外として、ぼくらはそもそも生きていかなければいけなくて、生きるためには稼がなければいけなくて、稼ぐための「仕事」というものがありまして、それに合わせて早く寝たり、出社時間に合わせて起きたり、歯を磨いたり、仕事をしたり、そうゆう「しなければいけない行動」もモチロンある。

これらはマストであって、生きていくためにはしなければならない。生理的欲求(ノドが渇いたり、お腹がへったり)も同じくだ。

しかしそれ以外の、散歩をしたり、本を読んだり、昼寝をしたり、友達と会ったり、遊んだり、音楽を聴いたり、買い物をしたり、旅に出たり、そういったわざわざしていることもある。わざわざという表現が適切かどうかは別として。

これは別に「しないと死ぬわけでもない」し、「したからといって稼げるわけでもない」し、だったらなんでしているのだ。という疑問が急に浮かんできたのが深夜散歩中の今だ。現にこうして「しなくてもいい」散歩をしている。

ぼくが「散歩にいこう」と思った動力はなんなのか。気になったら考えこんでしまうのは僕の悪いクセだ。

「好きだから」なのではないか

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ここでひとつの答えらしきモノにたどり着いた。もしかしたら「好きだから」なのではないか。

たしかに散歩は好きだ。もうすこし噛み砕くと、「夜に散歩をすると気持ちいいし、静かだし、ひとりでゆっくり考える時間が作れるし、気持ちも整理できるし、ぼーっとしているとアイデアが降ってきたりする」から好きだ。

今まで考えたこともなかったが、なぜ好きなのかをヒモ解いていくとこんな理由があった。たぶん、本を読むのにも、友達に会いにいくのにもこのように「理由」がある。ただなんとなくふらっとしていたことにも裏付けがあったんだ。知らなかった。

でね、おそらく人間は「何もしない」という状態がニュートラルで、選択肢がない場合、自然と「何もしない」のだとおもう。

しかしその重い身体を起こして、エネルギーを使って「わざわざおこなう行動」があって、その行動をするための動力が「好き」という感情なのではないかという確信を、今さっき得た。

「好き」が勝つ瞬間

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なにかをしようとするとき、必ずと言っていいほど「めんどくさい」という感情が出てくる。どんなに前のめりにやりたいことでも、この感情が1ミリくらいはどこかに潜んでいる。人間も動物だ。エネルギーは温存しておきたいのである。

しかしそのとき「それでもやりたい」という感情がどこからか沸いてくる。そしてその感情が「めんどくさい」に勝ったとき、人は重い腰を上げて行動に移すのではないかとおもう。

僕がいま散歩に出るときも、おそらく「めんどくさい」という感情があった。家でゴロゴロするという選択肢がちゃんと用意されていて、「めんどくさい」に従うこともできた。でもこうして散歩をしているのは「それでも散歩をしたい」とおもったからだ。

実際はイチイチ行動するたびにこんなに考えているわけではないが、脳内ではこの「めんどくさい」vs「それでもやりたい」がおこなわれていて、瞬時に決着をつけている。その結果が「やらない」になったり「やる」になったりして、僕らはそんな動力にカラダを動かされ、日々を生活しているのだとおもう。

そしてこの「それでもやりたい」がイコール「好き」なのではないかと考えたのだ。

「好き」の正体

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そんでもってここまで考えたら「好き」ってやつ正体を知りたくなった。

僕のカラダをわざわざ動かしてくれているコイツの正体はなんだ。感覚的なものなのか、論理的なものなのか。

コイツの正体がわかれば、「めんどくさい」に勝つための最強の武器が手に入るようなもんなのだ。必ず見つけ出したいところである。

さっきも書いたが「好き」には理由がある。

「なんとなく好き」だとおもっていても、噛み砕いていけば好きである理由がちゃんと見つかる。「感覚的なもの」かと思いきや、意外にもコトバで説明できちゃったりするのである。んで、この「理由」ってのが重要なことに気付いた。

「好きな理由」をかき集める

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前述した通り、ぼくが散歩を好きなのは「夜に散歩をすると気持ちいいし、静かだし、ひとりでゆっくり考える時間が作れるし、気持ちも整理できるし、ぼーっとしているとアイデアが降ってきたりする」から好きなんだけど、

ここにある「気持ちよさ」や「静けさ」や「ひとりの時間」や「アイデア」っていうのが僕が散歩に感じている魅力なんだよね。つまり好きな理由。

この理由ってのが「めんどくさい」に勝ったときに人は動く。だからこの「好きな理由」を自分で知っていれば武器を手にしたようなもんなのだ。

ようするに僕は「気持ちよさ」「静けさ」「ひとりの時間」「アイデア」という理由を満たせれば散歩じゃなくてもいいんだ。それらが散歩という行為に詰まっていただけで。

これを知って「自分が何に好きを感じるのか」を探すようになった。逆に言えばコレが自分でわかるようになったら僕はもうフリーザにも勝てる。

つまり「好き」とは、これらを瞬時に脳が判断して、好きな理由をかき集め、「めんどくさい」と戦わせ、その結果「それでもやりたい」サイドがウィナーしたときに沸き起こる衝動なのではないかと。そんな答えを出した。

衝動に従え

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自分がなんとなく「やろう」とおもって、ふらっとやってしまうことには理由がある。好きだからだ。好きだからやるのだ。わざわざやってしまうのだ。

そして「好き」には理由がある。

自分が気付こうとしていないだけで、無意識に「好きな理由」が詰まったことを「好きなこと」としてふらっとおこなっている。それがときに趣味と呼ばれたりもする。

つまりなにが言いたいのかというと、あなたが「あれしたい!」「これやりてえ!」と思うことがあるのなら、その衝動に従え。ということである。

音楽が聴きたいなら聴いて、本を読みたいなら読んで、旅に出たいなら出て、散歩したいならふらっと外を歩きにいく。

直感的に「したい!」とおもったことでも、そこには必ず裏付けされた理由があって、あなたの「好き」が詰まっているのだ。だからやったほうがいい。

好きの動力は無限大だ。

人は好きなもののためならいくらでもエネルギーを発揮できる。なぜか? あなたの中のラスボスである「めんどくさい」に勝っているからだ。向かうところ敵なしのスター状態ハピネス野郎の誕生である。

「好き」に勝つものはないのだ。

好きに素直になって、直感で動いて、ハッピーに生きようぜ。

良い人生を。

しみ
クリエイター
ふらふら旅暮らし。
映像と文章で生きています。
居心地のいい時間に浸るのが好き。
目の前のひとりを大切に。