朝。ひかえめなアラームにも愛のあるぼくは寝ぼけながらも華麗に起床し、ボサボサ頭のまんま歯をみがく。楽しかった昨日を思い出しながら余韻に浸るぼくの意識はまだ頭上に浮かんでいて、アルコールのすこし残った体は抜け殻のままで、ふわふわしていた。
パンとコーヒー
いつもの通り近くの珈琲屋さんに入り、パンとコーヒーを注文する。今日は天気がいい。田舎の山で遊びたい。
1日を有意義に過ごすためにこのカフェタイムにて今日のやることをまず決める。いつものルーティンだ。と、その前にSNSをチェックしよう。あいも変わらず現代っ子なぼくである。汗のかいたアイスコーヒーは「冷たいうちにね」とこちらを見ている。
そうしてしばらくSNSを見ていたんだけど、疲れたのでパソコンを閉じた。その日はなんだかマイナスな投稿が多くて、みなさん各地でバチバチ火花を散らしていた。ぼくは「なにこれ」と思いながらムシャムシャと小倉あんトーストを食べていて、とても不思議な気持ちになった。
インターネットの世界
そんな血気盛んなSNSとはまったく無縁の現実世界が今ココにある。こちとら珈琲屋さんにてのんきに朝の時間を過ごしていまして、なんとも平和なひとときなのであります。
この差というか、あまりにもかけ離れたインターネットとリアルとの違いに驚きを隠せなくなったためにこうして文章を書いている次第でして。わからないことが多いね、なんとも。
人の温度
圧倒的にリアルな世界が好きなぼくは、実際に出会った人の想いとか、感情とか、愛とか、そうゆう「温度」みたいなものに触れるのが好きで、カタチはないけれど、そこにはたしかにリアルでしか感じられない温かみが存在するんだよね。
でね、ネットの世界にはこの温度みたいなものはないのだと思っていたのさ。以前のぼくは。所詮ネットであるし、匿名で顔出しもせずにできるし、あることないこと書いたりもできる。そこに空虚というか冷たさみたいなのを感じて、「やっぱりリアルだよ」って思っていたわけ。
しかしだ。SNSを通じて、いつも活動を応援してくれたり、ブログに対して温かいコメントをくれたり、本を送ってプレゼントしてくれたり、なんと直接会いにきてくれたり。
そんなことを経験していくうちに「ネット上にも温度は存在するのではないか」という気持ちが生まれはじめた。いや、そう確信していた。
綺麗な縁で
ぼくは人が好きだ。人との出会いが好きだ。
人の温度に触れるのが好きだ。
ネットにはいろんな人がいる。なんかすごい人も、面白い人も、どうしようもない人も、優しい人も、怒りっぽい人も。ホントにさまざまな人がいるし、本音を出せちゃう場所でもある。
でも、ひとつ忘れちゃいけないのはアカウントの奥には一人の人間がいるということ。ちゃんと人が存在していて、そこには感情も想いもあるということ。だから嫌なことを言われれば傷つくし、受け入れてもらえない状況があると悩んだりもする。逆に、リアルと同じくらいに人の愛を感じることもある。
ネットの使い方は人それぞれだけど、ぼくはネットに感謝をしている。たくさんの人と繋がることができて、会いたいと言ってくれる人も、会いにいきたいと思う人も増えた。どうせなら、こうやって縁が生まれるような使い方が増えたらな、と切におもう。もっと、まあるい縁のある、温かい世界になっていいはずだ。
ゆるやかな毎日にすこしの優しさを。