青春とは無責任のことである。

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「青春」とは「無責任」のことである。

どこかで誰かが言っていた。たしかみうらじゅんあたりだったか。

なんだかすごく腑に落ちて、無責任でいたいなって思った。

 

大人になるにつれて、責任がつきまとう。

つまり、いろんな人の人生を背負ったり、その手助けをする役割を担ったりする。仕事でもプライベートでも。

それは年齢を重ね、経験を重ね、できることが増えたが故のことかと思う。子どもには任せられないもの。

この「責任」というものは難しくて、嬉しい反面、自由度が減る感覚もある。大人になるということは大変だ。 

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この大変をクリアするべきなのか、そうじゃないのかも疑問だったりする。たぶん、世間はクリアしろという。

しかし子供の頃の「なんでもできちゃう」感覚は無責任の中に宿る気がする。

おそらくそれは、怖さもなにも『知らないから』だ。

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大人になるにつれていろいろなことに挑戦し、上手くいくこともあれば失敗することもあって、この失敗を誰もが「もう繰り返したくない」と思う。

失敗の怖さを知る。

すると、徐々に失敗が相手に与える影響や、OKなラインとダメなラインを知っていき、「怖さ」を管理する能力が身につく。

相手方(お客様)がいる仕事というものには、失敗は良いものではないために、この ” ライン ” を知っていて「怖さ」を管理できる能力のある人に仕事をまかせる。

つまり「大人」にだ。

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相手方が存在する「仕事」にはどうしても「責任」がつきまとう。

ということは、社会にでたらこいつは必ずついてくる。

だから大人は「責任」を背負う。

相手方がいる以上それは必要なことかと思う。

しかし『遊び』というものにおいて、責任は必要ないんじゃないかと思う。学生時代が青春と呼ばれるのはこれだ。

遊びには責任がない。

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これをやったらどうなるの?こんなことしたいけどどう?に対して

「でもそれ、責任とれるの?」この質問はタブーだ。 

責任なんて気にしてたらオモシロイことは生まれない。強烈にその後の記憶に残るような、ぶっ飛んだことはできない。

大人になると、この『遊び』にすらブレーキをかける人がいる。

いろんなことを経験したが故の「怖さ」を管理する能力のそれだ。

人間の脳はスーパーコンピューターである。危機回避能力や失敗をくり返さないように修正する力はすごい。

でもそれがブレーキになっちゃうこともあったりして、もったいないなあ。なんて思う。

失敗もハプニングも全部あとになって笑い話になるんだから羽目を外しちゃったほうが良いときもある。

使い分け、なのかもね。

 

責任の苦味も、無責任の甘みも、どちらの良さも知って、どちらも美味しいとおもえるのが「大人」なのかもね。

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しみ
クリエイター
ふらふら旅暮らし。
映像と文章で生きています。
居心地のいい時間に浸るのが好き。
目の前のひとりを大切に。