「なに考えてるのか分かんない」
お付き合いさせていただいた人にはよくそんなことを言われる。わからないから不安だ、と言って泣いている彼女をただ呆然と眺めていることしかできなかったこともある。
ぼくはあまり考えていることを口に出さないし、たいして表情も変わらない。気づいたらぼーっとしていて、抜けていることも多いし、話を聞いていないこともよくある。
恋人とケンカをした記憶もほとんどなくて、感情をぶつけ合うことにカロリーを使うくらいならさっさと謝って穏やかに話し合いたい。そう考えるタイプだ。
伝わっていると思っていたんだよね、全部。
伝えるのがこわい
「やさしさ」とは想像力のことだと思う。
これを言ったら傷つくだろうな、これをしたら嫌がるだろうな、いまこの人はつらいんだろうな。そうやって相手のことを思いやって、相手の考えていることや感じていることを想像する力こそが「やさしさ」なのだと思う。
そして10代のほとんどを人の目を気にして生きてきたぼくには、この想像力ってやつがそれなりにある。
自分が今からするであろう行動や言動が、目の前の人をどんな気持ちにさせるのかなんて容易に想像できてしまうし、それが故に言えなかったり、できなかったりする。
そのたびに「ちゃんと伝えてくれないと分かんないよ」と怒られ、「だって伝えたら悲しむじゃない」と思いながら伝えると、案の定泣いてしまって「ほら〜」となるのがオチだ。
嫌なんだよ。相手が分かりやすい人であればあるほど、どうゆう反応がくるのかが分かる。そのたびに疲れるんだよ。
それでも伝えてほしかった
ぼくはできるだけ穏やかに過ごしたい。恋人といるときに波風は立てたくないし、ケンカもしたくない。二人でぼーっとしているだけでいい。それだけで幸せだ。
遊びや仕事は波乱万丈ドンと来いだけど、プライベートは穏やかでいい。特別なことはなにもなくていい。平凡な日々でいい。
そんな調子で暮らしていたのだけど、ある日突然生きづらくなった。恋人と一緒にいるのがつらくなったのだ。最初はそれがなぜなのか分からなかった。
でも、いまならわかる。伝えてなかったからだ。
「こうゆうとき、おれはこう思う」「こうゆうことをされたら嫌だ」「これは嬉しい」そんな自分の気持ちを一切伝えていなかった。いや、伝わっていると思っていた。
伝えていないから、どんどんすれ違った。居心地が悪くなった。当然だよね。恋人とはいえ他人だ。全部がわかるはずがない。
「傷つけるのが嫌だから伝えるのがこわい」とうつむくぼくは「それでも伝えてほしかった」という言葉を受け入れるのに時間がかかった。
気持ちを言葉にすること
ぼくがブログを書くのが好きな理由のひとつに「本音を吐き出せるから」というものがある。リアルの場で本音を言えないぼくにとって、ブログは都合のいい居場所だった。
でも、それだけではダメだと気付かされた。
気持ちは言葉にしないとちゃんと相手に伝わらないし、伝えないとどんどんすれ違いが生まれる。お互いの考えていることが分からなくなる。そのすこしの溝が大きくなっていって、居心地の悪い環境をつくってしまう。
これは仕事や家族やすべての人間関係に言えることなんだと思う。一番近くにいる存在に、ぼくは伝えなすぎた。
自分を出し切っていないのに、相手を受け入れることなんて出来るはずがないんだ。
最近はね、ブラックコーヒーが飲めるようになったし、毎日のように秦基博の朝が来る前にを聴いているよ。自分の気持ちがちゃんと伝わったときに嬉しいなって思うようになったよ。新しい夢ができたよ。夜はすこし寂しいよ。
これからは、こわがらずに本音を伝えていこうと思う。たとえそれが相手を傷つけることになったとしても、ぶつかり合った先の景色が想像できるから。それが「やさしさ」だと思うから。