僕には応援団がたくさんいる。
キッカケは古いiPhone。
たまたま見つけて、充電したら、起動できた。
そこにはもちろん思い出が詰まっていたんだけど、もうひとつ大事なものがあった。
青春をしたかったあの頃
あの頃の僕といえば、のんびりゆるいスタンスは今と変わらないんだけど、とにかくなにかデカイことがしたくて、みんなを驚かせたくて、刺激がほしくて、映画の見すぎなのか、「色即ぜねれいしょん」みたいな青春をしたかった。
内気な自分が変わりはじめたタイミングだったから、なんでも楽しかったんだよね。目に見えるもの全部がキラキラしてた。毎日ってこんなに楽しいのかって、びっくりした。
だから気の合う友達とアホなことばっかりしてたな。今それをやったら「いい大人が、、」って言われちゃうことも、あの頃は許された。今でもやるけどね。でも学生時代の自由度は想像以上に高かったなあ。
意味のないコトたち
今思えば、あのころ夢中になってしていたことって、ほとんどが「意味のないこと」なんだよね。やる意味なんて考えたこともなかった。
いつだって楽しそう!おもしろそう!が先行していて、それがやってみておもしろくなかったとしても、おもしろかった。
だから「なんでそんなことするの?」と不思議そうな顔をする同じクラスの女の子からは初めてエイリアンを見るような目で見られていたな。誘ったけど、断られた。
ここでいう「デカイこと」ってのは、大勢を集めるとか、すげーイベントとかじゃなくって、「当時の自分にとってデカイこと」で、今見たら拍子抜けしちゃったりもするんだけど、あの頃のぼくにはそれがすべてだったんだ。
そんなアホなことばっかりやってた学生時代の写真たちが、起動した古いiPhoneのなかに詰まっていたんだよね。
それらを見返して、笑っちゃって、なんだかあの頃みたいに楽しくなって、「馬鹿だなあ〜」と思いながらも「これって、今のおれの基盤になってね?」と気付いちゃってからは早かった。アタマの中を整理したくてこれを書いている。
無意味だと思っていたことに、意味があったんだよ。
何かをしようとする瞬間
今のぼくが、なにかをしようとする瞬間がある。
それはたとえば「仕事を辞めよう」とか「音楽フェスをやろう」とか「自分を変えたい」とか、なんだか自分にとって大きめなことをしようとする瞬間。
そんなとき、やっぱりちょっとひるむ。どうしよう、やめとこうかな?無理かな?そんな感情がよぎって、ここぞとばかりに弱気な自分がでてくる。
そしてその「弱気な自分」が出てきたときに、ソイツを説得するための理由が必要になってくる。
こうこうこんな理由があってね、こんなメリットがあってね、だから今やったほうがいいんだよ。行動したほうがいいんだよ。ね? やろうよ!って。
そうやって弱気になる自分を説得するための理由というか、判断材料みたいなものをかき集めて、ついでに周りのひとに相談して背中を押してもらって、やっと納得して一歩目を踏み出せるひともいれば、踏み出せないひともいる。
でもね、ホントはそれをやりたいことに理由なんて必要ないんだと思う。
オモシロそうだからやりたい。楽しそうだからやりたい。やりたいからやる。
なにかをしたくなる理由なんてホントはそんなもんで、めちゃくちゃシンプルなんだよ。だってやりたいんだもん。
でも、それだと世間てきに都合が悪い。周りは「なんでそれをやるの?」とツッコんでくる。あの頃の、同じクラスの女の子のソレだ。
ソレにちゃんと答えられないと、引き止められるし、批判をされる。どうやら理由というものは必要らしい。だからごたくを並べて、正しいっぽい理由をつけて、キチンと整理した状態でソイツらにプレゼンすることになる。
このとき「おれのことなんだから、いいじゃんか。ほっといてよ」って思うんだけど、どうしても「世間の理解」ってやつを得ないことには新しいことは始めにくいらしいんだ。
答えはあの頃に詰まっていた
でね、気付いたことがあって、あの頃やろうとしてた「デカイこと」と、いま決断しようとしてる「大きなこと」って、同じなんじゃない?って。
つまりやりたいことに理由なんてなくて、楽しそう!おもしろそう!が先行してる状態。あの頃も今も変わらない。同じクラスの女の子の声が、「世間体」ってのに変わっているだけ。
分からないようなら巻き込んじゃって、「ほら、楽しいでしょ?」でいいし、断られたらそれはそれで置いておけばいい。
つまりね、無意味なことをひたすらやっていた頃の自分がいたから、今ぼくはなんでも挑戦ができる。「なんでそれをやるの?」という声にもヘコたれず、無茶だとおもう道にふらっと飛び込める。
だれに何と言われようと関係ないんだよね。自分が自分を肯定しているから。自分が自分をイチバン信頼しているから。
「やったことないんだから、やってみないと分かんないじゃん」
っていうのが過去のぼくが出した答え。
たとえそれが正解でも、失敗でも、それはそれでおもしろくて、楽しむことができて、やってみないことにはそもそも「解答」はもらえないわけ。
平日の朝に
そんなことを考えながら、古いiPhoneを閉じて、大切にしまった。
にやにやしながら歯をみがき、お気に入りのスニーカーを履いて出かける。
「僕には応援団がたくさんいる。」
まさかまさか過去の自分に支えられて、背中を押されて、勇気をもらうとは思わなかったな。
あの頃なんであんなに「青春したい」と急いでいたんだろう。「今しかない」と思っていたからだろうか。青春なんて、いくつになっても出来るじゃないか。今のぼくがそんな感じだ。
「若い頃は、馬鹿なことやってたよな〜」なんて話して笑いながらお酒を飲んで「なあ、明日さ、あれやらない?」って相も変わらず毎日にワクワクしているオヤジになりたいな。
今の自分がいつか「あの頃」になったとき、「おれ、なんにも変わってねえな」ってにやにやしながら言えるように、生きてみるよ。